突然倒れて6ヶ月近く入院

一昨年2020年12月4日昼過ぎ、家で仕事をしていて一段落したときに違和感を覚え、夜勤明けで寝ていた息子を起こしました。

どう違和感を覚えたのか覚えていないのですが、一瞬で脳梗塞か何かになったなと思いました。親戚にもなった人がいたし、仕事で病気や薬のことを音声起こしすることが多かったので少し知識があったからだと思います。

起きてきてくれた息子に両手が同じ高さに上がってるか聞いたのは覚えていますが、そこからは記憶が途切れ途切れです。

息子が救急車を呼んでくれ、担架で救急隊員さんにマンションの1Fまで運ばれたこと、救急車に乗ってから息子が私の日頃飲んでいる薬を家に取りに帰ってくれ、その間に隊員さんが病院の手配をしてくれていたこと、後は病院について着ていた服を破られたこと・・・。
それ以降は10日ぐらい、ほぼ何も覚えていません。

集中治療室から通常病室に変わった頃、手術してくださった先生から、家族と一緒に、病態と今後の方針の説明をしていただきました。左頭の穿通枝(せんつうし)というところが破綻し脳内血腫を来していて、薬だけの治療では必ず再発するので開頭血腫除去をしたとのこと、頭の神経が途切れた部分があるので右側が麻痺しているが、そんなに大きくない損傷なのでリハビリを頑張って取り戻しましょうと言われました。

そのときは正直、ほとんど私には先生の説明が理解できなかったです。それほど頭が働いていなかったのです。ただ、原因は肥満と血圧が高かったのでと言われ、それは思っきり納得できました。徹夜とかしまくって、夜にチョコとかあまいものなど食べまくってましたからね。先生はとても丁寧で優しく、信頼できる方だと直感的に思ったのは覚えています。

程なく、やっと自分の状況が理解できてきました。右側が丸っきり動かずトイレに行くこともできないし、もともと右利きなので食事をするのに左手でスプーンすら、うまく使えません。携帯電話のロック番号さえ思い出せず、コロナの影響で家族と面会もほとんどできない時期でしたが息子が来たときに会わせてもらいロック解除してもらい、簡単な私でも覚えられるものに変えてもらいました。また、それまでQWERTY入力で両手を使っていたので、片手ではメールやLINEもできず、家族との連絡はひたすら電話でとりました。そんな状態なので、これからどうやって生きていくかとか、そんなことを悩む力さえなかったです。

いっぱい繋がった点滴や機械などが外れ、抜糸した頃、同じ病院内に回復期リハビリテーション病棟があったので、そちらにお世話になることになりました。手術してくださった先生が時々覗きに来てくださるので安心でした。そこから本格的にリハビリテーションと食事療法(ダイエット)が始まりました。

理学療法士(PT)さん、作業療法士(OT)さん、言語聴覚士(ST)さんがついてくださり、ボーッとして何が何か分からなかった私を上手に励ましてくれました。

理学療法士さんは基本動作能力(座る、立つ、歩くなど)が自立してできるように運動療法や物理療法を行ってくれる人です。初めは足につける装具というのを足全体につけて立つ練習、そして歩く練習をしてもらい(ほとんど持ち上げてもらって歩かせてもらってた)、2週間ぐらいで装具を膝より短く変えてもらうことができ、生活できる程度まで動けるように訓練してくれました。若くてカッコいい今どきのおしゃれなPTさんでしたが、とても頭が良くて(ほかのPTさんから教えてもらったけど学生時代特待生だったらしい、私を見てくれていた時点でも仕事しながら院に通って勉強してた)、しかも優しかった。運動神経がまるでない上に飲み込みが悪い私に、丁寧に熱心に教えてくれました。

作業療法士さんは、日常で必要となる応用的動作能力(食事、身支度、家事)などの社会的適応能力を獲得できるようにしてくれる人です。右手が、初めはあることすら忘れるような状態から、着替えやトイレ動作、お風呂の入り方までやり方を教わりました。彼女はかわいいというよりかっこいいといいという感じのOTさんでしたが、私のしょうもない話でも聞いてくれるような優しい人でした。私が右手が少しでも動くようにとお願いしたこともあり、腕と手のリハビリを中心にしてくれました。

言語聴覚士さんは、言語や聴覚、音声、呼吸、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して訓練や指導、支援などを行ってくれる人です。失語症があるので、初めは物の名前も出てこない、発声も聞き取りにくい、右側に視野がいきにくい状態で、その指導でしたが、途中から人の名前が覚えられない以外は結構べらべらと話す私を見て、左で字を書く練習とパソコンを左手だけで打つ練習をメインにしてくれました。

パソコンは患者も使っていいものがあり空いているときに練習させてもらいました。もともとローマ入力字だったのですが、実際打ってみると左手しか使えないこともストレスでしたが、例えば「お好み焼き」といく言葉が「OKONOMIYAKI」いう11文字でできているということが打っている途中で分からなくなってくる、何なら「おこのみやき」という6文字でできていることさえ、分からなくなるんです。また半濁音や拗音も打っている途中で分からなくなってしまいました。これはショックでした。それまで仕事で1日に2万語くらい打つことが当たり前だったのに、頭が壊れてんだと思い知らされました。この症状は今も残っていて、そういうときは口に出して言いながら打っています。

ただSTさんがローマ字のあいうえお表をわざわざ私のために手作りしてくれたり、少しでも楽しく打てるように好きな本の一節を読んでくれて、それを聞き取って打つ練習をさせてくれたり細やかにフォローしてくれる方でありがたかったです。

書く練習は、まず自分の名前、それから、ひらがなから始めて小学校で習う漢字を1年生から6年生まで順にと、漢字を使ってちょっとした文章もつくれるような問題集をコピーしてくれ、少しずつ宿題として出してもらいました。

STさんお手製のあいうえお表

そんなふうにリハビリしながら少しずつできることが増えました。

その間、落ち込んだり悩んだりしなかったのかといえば嘘ですが、家族が毎日電話ではげましてくれ、家の用事から私の着替えの洗濯まで全部してくれました。コロナの感染予防ため、ほとんど会うことはできませんでしたが、同じ病室でいい方々に恵まれ長々電話していても文句もいわず、逆にいろいろ気遣ってくださったり、助けてくれたり、ありがたかったです。皆さんに本当に感謝です。

そして去年の2021年4月17日に約半年入院してして退院できました。

右手は残念ながらキュッと握るくらいしかできませんし、歩くのは装具を付けて杖が必要ですし、まだ家の外は車椅子ですが、退院後は訪問リハビリを受けているので、今後もできることを増やしていきます。

・・・で現在に至るだったら良かったんですが、実は続きがあります。
また次のブログで書きます。

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